3 ラム・ウイング(WIG),PARの詳しい歴史

                                                 カーリオのラム・ウイング 
 ラム・ウイングは1935年にフィンランドのカアーリオによって発明され「ラム・ウイング」と名ずけられた。この時の実験機は縦横3or4m程度の非常に小型のもので、しかも氷雪上を走るものだった。それ以後は研究する人も殆どいなかったが、上記の1960年頃(昭和35年から40年頃)のホバー・クラフトと水中翼船のブームが来た時、川崎重工で研究・開発が行われ2人乗りの実験機KAG-3が製作された。この時の翼平面形は正方形に近いものであった。2、3年間の水上試験が行われたが実用化はされていない。(参考文献1参照)
 この開発の途中でプロペラ後流を利用したPARが同社の宮下により発明されたが、ラジコン模型の試作程度で終わっている。同じく同社の安東は前記のプロペラを前翼に載せ、この翼を低速では頭揚げの状態、高速では水平にすることにより、諸性能を向上する発明を行い名古屋大学に移籍後も長年研究を続けた。その中ではラジコン機や一人乗り機の試作も行った。         
(参考文献2、3参照)                                                                                              

                        
        川崎重工のKAG-3                                  安東のPAR模型(上図)    
                                                リピッシュの三角翼ラム・ウイング(下図) 
 これと大体同時代に米国のロッキード社も研究を行っており、
モーターボートに横長の翼を付けた形状であった。しかし、これも研究は途中で打ち切られている。 これに対しドイツのリピッシュ(三角翼の発明者)は、昭和45年頃に三角翼のラム・ウイングを試作し一人乗り機の飛行を成功させた。しかも、これは水面スレスレの飛行だけではなく、飛行機同様に高い所も飛べるものだった。その後数々の試作が欧州では行われているが、いずれも実験機で終わっているようである。
 
 日本ではその後、昭和60年頃に鳥取大学の久保と三菱造船が協力してラム・ウイング型のミュー・スカイ1と2型を試作し、一人乗り実験機を成功させている。(下図参照)



 この頃から東西冷戦が終了して、上記のようにロシアが軍用・民間用の数々のPAR型の機体を開発していたことが分かり、ラム・ウイングまたはPARがテクノ・スーパー・ライナーの将来型になりうるか注目されている。    
          
 


         ソ連のPAR ( 「カスピ海の怪物」、ジェット・エンジンの排気利用 )

ラム・ウイング(WIG) の研究は現在鳥取大学久保研究室で行われている。

PARの研究は日本大学宮下研究室で学生の卒業研究の一環として続けられた。


参考文献

1 「KAG-3の開発」
2 「水面飛行機への招待」  安東茂典
3 「水面飛行機の開発」    安東茂典  


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